そんな顔せず笑っとけ!

雑記ブログです!好きなものや体験等を載せてます✌️

いきなり記事を作っていくのは難しいので【今週のお題】!

今週のお題「おかあさん」

 

僕の母は、約5年前にガンで他界しました。享年57歳。

 

まあとにかく元気な人でした。毎日大きな笑い声が聞こえていました。

家に帰って玄関で「ただいまー」と言えば

奥の台所から僕より大きく叫びの様に「おかえりー!!」と言っていました。

それが普通だったので、今仕事が終わって帰ってきたときに、

なんとなく聞こえてくる奥さんの「おかえりー」

が物足りなく感じてしまいます。

 

母が亡くなる5か月前、僕ら家族3人と僕の両親で県内の温泉に1泊の旅行に

行きました。奥さんに後押しされて。

 

旅行に行く前から抗ガン治療で髪が無くなっていました。ただ、その時が

近いのだとは思ってもいませんでした。鈍感と言うか甘いと言うか。髪が

無くなってからも大きな笑い声は健在だったので今まで通りに思っていました。

 

その為旅行の計画は進んでおらず、「タイミングみて一緒に行きたいなー」と

ぼやいている程度でした。しかし奥さんは違いました。

 

【何かあってからじゃ遅い。何かある前に行かないと旅行に行けなくなるよ!】

 

と後押しされ、旅行の一月前くらいに急遽場所を決め、旅行に行くことと

なりました。今思えば、奥さんの一言がなければきっと行けなかったと思います。

 

旅行後、元々両親は念願の飛鳥2で旅行に行く計画があったのですが、その

旅行中に容体が変化していきました。

 

父の話では、旅先で船を降りることができなくなり、予定していたコース料理も

食べることができなかったそうです。

 

旅行から戻ると、その二日後には入院。もって一か月とのことでした。

 

その後2度程、意識も混濁し、うわ言の様な返事しかできず、「もう・・・」

と言った場面になりましたが、1度目は自然と覚醒し、2度目は息子を連れて

行った次の日に覚醒しました。ですが予定の約一か月でゆっくりと息を引き取りました。

亡くなる前日から当日にかけて僕が病室に泊まり、そのまま来た父と一緒に

看取ることができたのは幸いなことだと思います。

 

ここで母に対して幾つか悔いがあります。

 

・もっとみんなで旅行に出かけるべきだった

 

・建てた新居を見てほしかった

 

・娘と出会ってほしかった       です。

 

家は図面などは母にも見せていたのですが、逝去後に着工が始まったので

立った内面も見てもらえていません。

 

娘は今2歳です。母は娘の誕生や妊娠のことを知らず逝ってしまいました。

墓前での報告はしましたし、毎年墓参りも行ってるので顔は見てもらえたかな?

 

今も生きていたらと思うこともたくさんありますが、先輩が言っていました。

それも運命なんだなと。

 

母のおかげで、毎日負けないくらい大きな声で笑っています。

 

本当にありがとうございました。これからも見守ってください。

 

 意外と長くなってしまうものですね!長文失礼致しました!